156 ヒストリー

2007年3月27日 (火)

0010  156の生まれた背景~その5 (復活へ)

Gtvs_1 さすがに親会社フィアットも考えたのか、続く『スパイダー』、『GTV』に関しては独自設計の範囲を広くしました。
結果これらはフィアット傘下で新規開発されたアルファFF車として最初のヒットとなり、次の新型車においても設計自由度は一気に高まったのです。

もちろん155の後継機についてアルファ設計陣も相当考え抜いたに違いありません。
結果生まれたのが『156』、足回りはロールを許容しやすい形式になり、エンジンはツインスパークを改良すると同時にV6にはダブルカムヘッドを搭載、ボディー剛性の強化と共に各所に歴代モデルのディティールを盛り込み、品質も相当なまでに上がりました。
そしてこの156は爆発的なヒット作となりアルファ復活の原動力となったのです。

誤解を恐れず言うなら156は、黄金期はもちろん迷走を続けた時代を含め 『戦後アルファの集大成』 でもあり、それこそ僕がオーナーとなり皆さんにお奨めする最大の理由でもあるのです。


写真 【GTV( ※ 後期フェイス)】
  

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2007年3月24日 (土)

0009  156の生まれた背景~その4 (苦難の象徴)

Alfa_155 155は独特のウエッジシェイプに広い車内とトランク、エンジンも75からのツインスパークヘッドを搭載(後期にはV6を追加)、フロントには伝統のアルファエンブレムという構成でしたが、肝心の足回りがアルファの味付けに合わずファンから非難を浴びました。
定説では、やはりリアサスのキャパシティー不足から来る限界時の不安定な挙動がネックと言われています。

販売台数が伸び悩む中、ツーリングカーレース等のプロモーションでテコ入れした結果、予想外に売れたのが何を隠そう日本で、多数の155マニアを生む結果となりました。
品質的にも過去のアルファよりトラブルは減り、敷居が一段低くなったことも新規のファンを掴んだ要素のひとつです。
これはフィアットへの吸収合併が日本において弊害一辺倒でなかったことの表れと言えるのではないでしょうか。

尚、後期型のスポーツモデルに至ってはかなりガチガチの足だったらしく今でも賛否両論のモデルではありますが、苦難の時代にあってアルファエンジニアが最大限の労力を注いだ力作であることに間違いはありません。


写真 【156の前身モデル 155】
  

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2007年3月22日 (木)

0008  156の生まれた背景~その3 (プロジェクト)

Alfa_164 とりあえず国営時代からのプロジェクトであった大型FFサルーン『164』はアルファスッドや『33』のノウハウを元にランチアの足回りをうまく利用することでリリースされました。
初期にはトルクステア等の問題はありましたが、フィアット傘下の第一弾としてこの車は高い評価を受けたのです。
しかし『75』の後継機である中型車の新規開発はもう資金的に無理でした。

そこでフィアットは自ら推し進めていた一つのシャーシから複数の車を展開するティーポ2/3プロジェクトにアルファを組み込むことを決定します。
計画そのものは仕方ありませんが、これはアルファにとってあまりにも制約が多すぎました。
最も大きな障害はリアサスのフルトレーリングアームで、これはアルファが得意とする『ロールさせて曲がる』というサスセッティングを困難とする形式でした。
しかしフィアットはこれを換えることを許さず、その厳しい制限の中で誕生したのが156の前モデル『155』です。


写真 【フィアット傘下初リリースのFF車 164】
  

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2007年3月20日 (火)

0007  156の生まれた背景~その2 (低迷と負債)

ところが70年代ごろからでしょうか、度重なるオイルショックや様々な事情(労働資質の低下やストライキなど)から時代の変化に対応しきれず、アルファの品質と収益は次第に落ちていきます。

『アルファスッド』は南地域の雇用対策を兼ねただけでなく、水平対向エンジンを積んだFF車という意欲作でしたが、鉄板の材質が悪く錆びちゃうことで有名になりました。
トランスアクスルなど画期的な機構を引っさげて登場したアルフェッタ系は、高度な技術と生産体制のギャップを抱えながら外装メインのモデルチェンジで生き長らえるといった具合です。
この中で後に名機と呼ばれるV6エンジンを搭載した『6(セイ)』が生まれますが、存在自体はアルフェッタ系から派生したバリエーションの一つとしてあまり目立つものではありませんでした。

Alfa_75最後のFR車となった『75』も一定の成功は収めたもののアルファ経営難を救うまでには至らず、結果としてアルファは巨大な負債を抱えたまま民間企業であるフィアットに身売りすることになります。
しかもそのフィアットでさえ同時期にランチアを吸収し、決して台所事情は豊かでありませんでした。


写真 【国営時代 最後のFR車 75】
  

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2007年3月17日 (土)

0006  156の生まれた背景~その1 (戦前と戦後)

156というモデルを語る上で外せない戦後アルファの軌跡について、ホント簡単にお話します。
マニアの方から見れば失笑を買いそうな内容ですが、どうか知ったかぶりをお許しください。

およそ100年近くの歴史を誇るアルファロメオですが、若い方には1987年フィアット系列に組み込まれる前が国営企業だったことを知る人は意外と少なかったりします。

Alfa_history_2第二次世界大戦前のアルファは今のフェラーリも真っ青な高級スポーツカーメーカーでした。
会社設立の翌年にはレース参加を開始、輝かしい活躍を続けます。
少量生産の市販車は高性能かつ非常に高額で、レースの活動経費を生むためと噂されたほどです。
現在のスポーティーなブランドイメージはこの時点で確立されたと言っていいと思います。

そのアルファも1930年代、世界恐慌と政治的な思惑でイタリア国営となり、量産車メーカーへとシフトすることを余儀なくされます。
第二次世界大戦時には軍需工場としての役割も果たさなければなりませんでしたが、戦争終結後は再び乗用車の生産を開始し、高い技術力と独自のノウハウを生かし優れた車を世に送り出してゆくのです。
最も得意としたのが箱型のスポーツサルーンで、『ベルリーナ』、『ジュリア』、『ジュリエッタ』等、実用性を持ちながらもレースからフィードバックされた凝ったメカニズムと足回りの秀逸さで熱狂的なファンを掴みました。


写真 【国営前モチーフのイラスト】
  

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